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宗運道場由来・Soun dojyo

6月の稽古日・April practice day
指導者・Instructor



英霊に感謝する ― 神風特別攻撃隊 ―


稽 古 誌
川尻武道館(令和6年/2023・1月~)

稽古内容と+αを綴っていきます。
稽古はともするとやりっ放しになるので、その都度、自分自身に“何をやったか”、“そしてどうなのか”を問いながら内容を振り返り、 修業する皆さんの練度の向上に役立てていきたいと思います。
そして、今年3月から稽古場面を短く編集したダイジェスト版映像(5分前後・Keiko-MP-4/2か月毎)を載せていきます。



稽古映像ダイジェスト版・Keiko video abridged version

1月12日の稽古

12月22日の稽古

11月24日の稽古

11月10日の稽古



令和7年(2025) 皇紀2685年 乙巳(きのとみ)

1月26日(晴)川尻武道館
八動功。シメの形。15構;下段⑤羽ばたき。サンシール;龍舌。クーサンクー;虎伏せ。リューシャン;龍尾。
組棒Ⅱ;1-2。トンファー。サンチン-ナイハンチ。
【金峰山】
大相撲・木瀬部屋の金峰山関が初場所で惜しくも初優勝を手にすることはできませんでしたが大活躍!!敢闘賞を受賞しました。 私はこれまで四股名の「金峰山」が、どこから来たのか興味を持っていたのですが、何と!熊本市西区河内にある金峰山(665m)という事を初めて知ったのです。 と共に、カザフスタン出身の関取にとても親近感を持つことができ、これからは突き押しの技に磨きをかけ、上位を目指してくれることを願ったしだいです。


1月12日(曇)川尻武道館 稽古始め
棒運動。四方拝。形意五形。ニーセイシ;11構。変手法;③の攻防手。ヌンチャク。 15構;下段③④。サンチン-ナイハンチ。
【学び】
形の稽古では、形意のイメージや技法の角度を少し変えて動作すると、形全体に微妙な波動のズレが出ます。それを感じるとそこに小さいながらも形幅が広がりにつながります。 一方変手では、身体をぶつけ合いながらの相対練習になるので、触れそして触る強弱の変化で、身体が思わぬ反応が出ることがあります。 その時に“ハハー……こうなるのか…”との気付きとなれば、それが小さな学びとなり技幅を広げるのです。 ともするとマンネリ化しがちな練習になりますが、そこに“試しに”あるいは“これを入れてみよう・やってみよう”を入れ込んで稽古を続け学びを少しでも増やしていきたいと思います


令和6年(2024) 皇紀2684年 甲辰

12月22日(晴)はません武道館 稽古納め
棒運動。基本動作-基本四形-基形三形。ヌンチャク - サイ - トンファー - 杖;基振りと相対練。サンチン結テンショー。
【感謝】
今年も稽古納めができました。先ずは自分の身体に感謝です。老いは誰にもおとずれます。だからと言って余計に意識すると、その時期が早まります。 そのために私は、年齢を意識しながらも無理のない基礎体力を維持する運動の継続を心がけています。 来年も気張ることなく身体の調子をみながら自分のペースで稽古をしていきます。今年も一年間有難うございました。

12月8日(晴)川尻武道館
棒運動-基振り相対練。基形三形:横払い手-前落とし手で気配を読み取る。 クーサンクー;月仰ぎの手と身体の操作。
変手攻防手②。周氏の棍。 サンチン‐ナイハンチ。
【技の質】
最近稽古を通して感じることが、技の質の変化です。それは、年齢がもたらすことはもちろんですが、技を見る(捉える)目(視点)が以前とは違うという気付きから出てきている感覚です。 まだ具体的な例を挙げて“こうです。”と言える段階までには来てはいないのですが、 7月の研修会での「振動・重力と反重力・螺旋・量子力学と意識に関する理論と技(技法)の重なり」を解説した(試みた)のが少なからず良い効果を出しているのかも知れません。 技の探求の旅は続きます。


11月24日(晴)
基本四形。杖;回し打ち(順手-逆手-相対)、トンファー・サイとの払い受け打ち練習。 チントー;翼の閉じからの肩甲骨と沈みの身体操作。投げ15構下段①②の掛け手-合わせ技。サンチン-ニーセイシ。
【合気】
私は最近「合気」の言葉を使いますが、これは“変手掛け合わせ手”の稽古を前面に出し始めてからです。なぜならば相対稽古をするうえで不可欠だからです。 相対稽古では「気」と「呼吸」を相互に意識し合わないと、結局、力比べから妙な組手もどきへとなり…、とどのつまり意味のないガチンコ空手につながるからです。 今日の杖の稽古も、その「合気」の一つです。
大東流合気柔術の武田時宗先生は『「合気」とは相手が攻撃してきた時の護身であり後の先である。 そして、こちらから相手を倒しにかかってゆくのが「気合」である。さらに「気合」はあくまで押しであるが、「合気」は押してきたら引く…引いてきたら押す、という風に、 緩急の精神を持って気に合わせて逆らわないことが重要である。』と、述べています。

11月10日(雨)
棍;送り突き-脛打ちの相対稽古。テンシン;体の揺れ、腰のフリース、体の居着きを無くせ。変手28法;攻防手の一体化を目指す-①。15構;⑩手刀の切込みの身体操作。 サンチン-ナイハンチ。
【積み重ね】
島崎藤村の「夜明け前」に“旅人を親切にもてなすことは、古い街道筋の住民が一朝一夕に養い得た気風ではない……”の文面があります。 これは普段の稽古に通ずる言葉で、私なりに“忍の気心” として理解しています。
要は、稽古は積み重ねという事です。 今日から始めた変手の攻防手は、その積み重ねからでたもので、以前から言っていた“同時打ち”が稽古を重ねるうちに技法の変化が進化したものなのです。
攻防手の練習からどのような隠れた技を見つけられるか探っていければと思っています。


10月27日(晴)
棒の基振りと相対稽古。基形三形。護身;腕を掴まれた時。15構:⑨腕肩巻きへ;肘へのあてがいと手刀切り差し。
サンチン-ナイハンチ。
【気づき】
前回に重なりますが…、稽古における内容が、ともすれば同じことの繰り返しとの印象が少なからずありますが、私は、そこに新しい気づきが隠れていると考えています。 ただそれには大事な要素があります。それは、技(技法)を点として捉えるのではなく、線として見ることです。要約すれば、技(技法)のつながりを知る努力という事です。 最近は型の分解あるいは技の分解と称して、型や型の技法を細切れにして、それもそこに派手な動作を加えて演技をするような風潮に変化してきています。 その良し悪しは各々が論じることで、私の関知することではないですが、私は、「手」を空手と古武道(武器術)に分断してしまった事に近因していると思います。私は、空手と武器術は両輪の考えを根本において稽古をしています。


9月29日(晴)
基形三形;肩抜き、バッサイ;もろ手突き、サンシール;大杯-杯、それぞれの身体操作。
組棒Ⅱと変手掛け合わせ手の今後の稽古について。サンチン 結 テンショー。
【節目】
毎年、靖国奉納演武が終わると、これまでの稽古を継続しながらも新しい稽古内容を考えそして移行していきます。
これは私なりのやり方ですが、結構良い効果や新しい技法の創作ができています。 目指す何か!を待たず、ダラダラ……マンネリ化(代り映えのしない)した稽古は、体の筋肉や精神的なものにストレスが溜まっていきます。
節目・区切りを持つ稽古をこれからも大事にしていきます。

9月15日(晴)
第19回靖国神社奉納演武大会

9月8日(晴)川尻武道館
基形三形。護身の技を考える;小突かれ-胸ぐら掴みに対しコーサ―と猿臂での対処法。 投げ15構;中段③流水蹴り。
靖国演武準備最終練習。サンチン-ニーセイシ。
【残暑】
靖国演武準備練習の終わりを迎えるころは残暑と秋の気配が入り混じるのが毎年の風情です。 しかしながら、今年は残暑が居残り今日も暑中稽古となりました。とは言え、大汗をかきながらの稽古もまた修業の一環と考えれば良いのかもしれません。 15日・日曜日は、靖国神社能楽堂の舞台で、英霊の皆様に対して恥ずかしくない演武を奉納して参りたいと思います。


8月25日(晴)
基本四形。しめ腰-放ち(突き)-中立;前屈-中立(半月)、後屈(沈み)-中立(半月);柔の受け手。
振り突きと体のフットワーク;トンファーの外穂と受け手。 靖国演武準備練習。サンチン-ナイハンチ。
【遠雷】
今日も昼から遠雷がある。“一雨も欲しい……、こっちにこい”と願うのだが……、遠ざかって行ってしまいます。
こればかりは自然がなす業“そうは問屋が卸さない”の言葉に従うしかありません。と同じように、物事は自分が思うように、
そう簡単には運ばないのが 世の常です。しかし、だからと言って「他力」に頼るだけでは自分の成長はないと思います。
今日の稽古では、あらためて「自力」の大切さを言われた気がしました。

8月11日(晴):暑中稽古
棒運動。意通しと呼吸。シメの形;手の柔法操作と丹田への意識掛け-リューシャンでその動きを見る。
リューシャンとサイの話。靖国演武準備練習。
【異様】
古流の形の動きを初めて見る知人から、手の動きが“まるで新興宗教の踊りみたいで異様な印象を受けた”との感想をもらった。 これまで“変わった手の動き…、ミステリアスな手の動き…”等などの言葉を聞きましたが、……異様な動きの言葉にはハッとしました。 そして、手の操作が体の内部(丹田)とつながらずに離れていると(意識掛け✖)、知らない人から見ると“妙な手踊り”の印象を受けることを気づかされました。 そしてさらに手踊りではなく“舞”の言葉を強く意識して古流に接する大事さを、あらためて自分に言い聞かせたところです。


7月28日(晴)
棒運動。基本稽古。靖国演武準備練習。短呑吐サンチン。
【体の疲れ】
先日6日間の通し稽古での体の疲れが膝関節に溜まったようで、終始ぎこちない動きの稽古に少し落ち込みました。 しかし季刊誌と稽古映像の編集が待っているので、そちらの方に気持ちをシフトして疲れた体を休めていければと思っています。

7月14日(雨)
棒運動。基本四形。四方割—バッサイ-ソーチン;向かい合い稽古。ヌンチャク;三方—よれい。靖国演武準備練習。サンチン。
【研修会】<>Br 15日~19日の五日間、オーストラリア川濤会(Australia Chitokai)・Brian & Sandy Hayes先生と7名の指導者研修会を行いました。 この記事は古流唐手龍精空手季刊誌・龍手96号に掲載しています。


6月31日(曇り時々晴)
基形三形。受け手-推手。杖;蜻蛉-斬り下ろし-回し打ち(順・逆手)。靖国演武の流れを掴む。サンチン。
【絞り出す汗】
今年も蒸し暑さの下での稽古の季節に入りました。それは9月の靖国演武に向けての準備が始まったという合図そして暑さとのたたかいのスタートを意味します。 夏の稽古では流れる汗が付きまといます。これは風情とか風物詩とは真反対の光景です。 しかし、この忍の稽古と内勁の身体操作によって絞り出す汗の分が、修業の練度を上げ更により強い忍耐力の養成につながっていくのです。

6月23日(雨)
サンシール・クーサンクー;落とし手。第19回靖国神社奉納演武に向けての準備に入る。 サンチン-ナイハンチ。
【挨拶】
もと、この二文字は、本(もと)は禅問答におけるやりとりを指した言葉で、「挨」は推す、「拶」は迫る、という意味です。武道においては「挨拶」が「礼」になります。 私は「礼」の言葉と仕種に心地よさと時には爽快感を抱くことができるので、とても大事にします。 また「礼」には謙虚な心を持つとの大切な教えがあるので、普段の稽古から慢心あるいは驕り(おごり)の気持ちが出ることのないように自らに言い聞かせています。

6月9日(雨のち曇り)川尻武道館
基本上中下―しめの形―ニーセイシ―バッサイ;脇のしめの違いと応用の仕方。
第19回靖国奉納演武の流れと動作内容の確認。サンチン 結 テンショー。
【型から形へ】
「型」の意味を調べると、“同種類の物を幾つも作ることが出来る基になる一定の形を備えたもの”、そして用例の中に“型にはまった見解”があり、 それは特徴・独自性が無い物事として捉えられています。空手の多くの流派では「かた」を「型」と表記しています。 その「型」の解釈は流儀間に違いがありますが、一般的には「型」は変化しない「カタ」とする固定観念が根付いているように思います。 しかし私は“型は変化する”の考えを持ちます。それは稽古を続ける中で自分自身が感じそして見ている経験知から言えることで、型が形へと変化するのは、 ごく当たり前の自然な現象なのです。今日は、形とは何か…を考えながらの稽古でした。


5月26日(晴)
棒運動。基本四形;四方割の前後左右。ナイハンチ:腰の操作。テンシン;四方への体の転回。
ヌンチャク八風・よれい;腰取り。周氏の棍。サイの打ち手。サンチン-バッサイ。
【grandpa’s技法】
今日の稽古にはカナダ・ケベック州シェルブロックのBégin夫妻が訪ねてくれました。
そして、ご主人のPierre-Yvon Bégin(70才)は“久しぶりの練習……”とのことでしたが、一緒に稽古をし、共に汗を流してくれました。 練習内容には戸惑いあったようですが、私は“それは至極当然のこと”、と割り切り、続けている内容での稽古を行いました。 その中で話題にしたのが、老齢期に入った人の練習方法であるgrandpa’s技法でした。それは、力まずにゆっくりと動いて空手を楽しむ……の話なのです。 その上で、それを知ってもらうためにナイハンチと周氏の棍を三回ほどゆっくりした動きで反復しました。 私は、夫妻のにこやかな笑顔に“何かを掴んでくれたな…”と思いながら、昼食の「武蔵うどん」をとてもおいしくいただくことができました。 “武蔵茶屋本店のスタッフの皆様、ご丁寧な接待をありがとうございました!!”

12日(雨)
棒運動。組棒Ⅰソフト組打ち。後退・さがり;前身後退-ニーセイシ-ローハイ。 ヌンチャク八風;飛燕。
15構;中段①②掛け合わせ手。サンチン 結テンショー。
【ミーティング】
稽古後久しぶりに昼食会を持ちました。今回は靖国神社奉納演武への参加について各々がどのような考えを持っているかの 聞き取りとその内容につての意見の交換です。 参加については、我々の思いを主催者側に伝え後は先方側の判断に委ねることになりました。 そして、まとめとして、これからはミーティングの機会を増やしながら意思の疎通をとって、空手ライフを楽しむ気分を醸成していく……となりました。


4月28日(晴れ)
基形三形。鷺足-足刀-左右突き。ヌンチャク;八風三方-打ち手。15構;上段④⑤。 サンチン-バッサイ。八段錦⑦。
【周辺視】
私が着眼する基本の一つに、相手(敵)が前-左右にいると想定した時の目付けです。 これは夜間演習で教えられた周辺視を基にしたものですが、まさかその周辺視が空手の練習に役立つとは思ってもいませんでした。 周辺視ができるようになってくると、暗闇の中でも前方がやんわり・ぼんやりと見えてくるようになりプラスして 周辺の気配まで読み取れるようになってきます。突いたり蹴ったりするのが基本だ!という既成概念に縛られるのではなく、 その前に、足元にある未だ気づいていない何か、
に気をかけながら行う地道な稽古も大切だと思います。 基本の根の広がりが技の葉の成長を促していくのです。

4月14日(晴)
基本打ち手、四角歩法と突き返し、ニーセイシの裏拳返し突き、半転-輪転、チントーの独楽からの八風電光。
周氏の棍-袈裟・裏袈裟・兜。15構123の柔手。 サンチン-ナイハンチ。
【軽いと柔らかい】
ライトタッチとソフトタッチは沖縄松林流新里先生が柔法空手を解説する際に使う技法用語です。 私も先生からの許可を得て
ハードタッチ(剛法)の用語と共に変手掛け合わせ手の練習時に使います。 要約すれば外勁と内勁の技法ですが、
外勁に比べ内勁の詳細な解説は内功法の分野に踏み込まなければならず難しいです。 今は簡単に軽いはさわる、そして、
柔らかいはふれるで、技法の違いを自分の中で納得しながら変手柔法に取り組んでいます。
いずれ柔法で成り立つ古流の形を前面に紐解きができればと思っています。


3月24日(雨)浜船武道場
基形三形-バッサイ。三日月蹴り;表-裏-足底-足甲。変手掛け合わせ手28;体転- 馬蹴り・回転手刀。
杖;担ぎ。風車の棍;すね打ち。サンチン-ナイハンチ。
【すね打ち】
薙刀(なぎなた)と聞けば直ぐにすね打ちを連想します。その技でかなり痛い目にあったことがある私は、だからこそ棍の打撃技の中に入れています。 もちろん杖にも同様に組み入れています。すねは「脛」「臑」と書きますが、すね打ちが目標とする部位は踝(くるぶし)で、 棍を落としながら払うように掬って打ちます。床あるいは地面に当てるようにして打つのもコツの一つです。
ここで踝の語源を;古くは「くるぶし」を「つぶふし」と言い、「つぶ」は「粒」、「ぶし」は「節」の意味とされていました。 ですが「くるぶし」は、その丸みが「粒」とは言い難いことから、「つぶぶし」の「つぶ」が「くる」に変わったとの説があります。
しかし「くるぶし」は室町時代から使われていたようで、近世後期の江戸では庶民の口頭語として「くろぶし」「くろぼし」とも言われていたとも……。 すね打ちという一つの小さな技ですが、話題がここまで広がりを見せることができる日本語に、あらためて感心しそして感謝するものです 。

3月10日(晴れ)川尻武道館
棒運動。基本四形;足と体のさばきを護身技に結ぶ。杖;袈裟-裏袈裟、脇隠れ-返し回し打ち。変手掛け合わせて27;二指顎かけ。ヌンチャク;顎打ち-袈裟。 トンファー;横受け-顎打ち-落とし-回し打ち。サンチン-結 テンショー。
【体が教える】
稽古中身体の各部位に今までにはなかったしびれや熱感などの微妙な変化を感じる時があります。
私はそんな時、別のエネルギーが入ったな!と素直に受け止めるようにしています。 それは体が心地よいという感覚で、裏を返せば体が嫌がるストレスがかかる動きがないことを知らせてくれているのです。
体が嫌々する動きは、理にかなった身体操作がなされていないよ…、と教えてくれているのです。


2月25日(曇りのち晴れ)
棒運動。少林熱身法。ニーセイシ;手刀と脊刀、11構;⑧⑨ヌンチャク護身。変手掛け合わせ手;26鎌かけ手。
サンチン-首里セイサン。
【時代おくれ】
私は河島英五の「時代おくれ」の歌をよく聞きます。理由は、曲はもちろんだが、男の純情や人情がさりげなく畳みこまれている歌詞が好きだからです。 そして;"目立たぬように はしゃがぬように 似合わぬことは 無理をせず …… ねたまぬように あせらぬように 飾った世界に 流されず…… “の歌を口ずさんでいると、 何かしら自分の地味に続けている稽古に重なるのです。

2月11日(晴)
棒運動。基本上中下。追い突き-膝頭-裏三日月蹴り;肘と膝と体軸線。 ニーセイシ;11構⑦⑧⑨の平貫と背刀、⑩⑪のヌンチャク護身。 杖;回し打ち、脇据え-突き手、脇隠れ-払い手。変手掛け合わせ手;25の目切り。サンチン-ナイハンチ。
【手の刃】
手刀(しゅとう)は空手の用語ですが、この言葉がどこからきたのかの詳細な説明を耳にした事はありません。 ただ「手刀」なので、それ以上もそれ以下でもない「手刀」となっているのです。
私は手刀を“表の刃(表刀)”と“背の刃(背刀)”と解釈しています。 形ニーセイシには手刀を巧みに織り交ぜながら技法の構成が成されていることを知ると、 形の面白さが増しさらに技法の深みが分かってくるのです。



1月28日(晴)
棒運動。基形三形-サンシール。ニーセイシ11構④⑤⑥の実戦動と護身ヌンチャク。 杖;回し打ちの相対。
変手掛け合わせ手;21・22の復習と23・24の解説。 サンチン-ナイハンチ。
【味わう】
“若くして武を学べば武に徹することができ老いては武を楽しむことができる”。これは手の格言です。 これは、今年から後期高齢者の仲間入りをする私にとってすんなりと受け入れられそうです。 それは今日の形稽古で、動きをただ追うのではなく、一つ一つの動きを味わう……、に変化する自分を感じ取れたからです。
そして同時に「形意」の大事さと必要さをあらためて実感しました。

1月14日(晴) 稽古初め
棒運動。四方拝。周氏の棍-風車の棍。リューシャン;手刀貫刺し-背刀掛け、龍舞手-掌底。 ニーセイシ;11構①②③の実戦動と護身ヌンチャク。変手掛け合わせ手21-22;肩十字-腕十字。サンチン-ナイハンチ。
【ほふく前進】
技法の解説をする時に困ることが空手用語の貧弱さです。これは今に始まったことではないのですが、今日も「しなやかさを持った動き」で詰まってしまいました。 柔らかさとかやさしいあるいはゆっくりの言葉では技法の説明・解説にはならないのです。ですから結局“柳の枝”の譬え(例え)をひきださざるをえなくなります。 しかしこれではどのような身体操作をするのかの説明にはなっていないのです。悩ましいところですが、そこに工夫が生まれると思って進まなければなりません。 今年も頂を目指す道は険しいですが、気持ちは匍匐(ほふく)前進しました。


【上に】