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(3)

1983年9月

我が修業時代「タバコ盆投げ事件」

  

 それは、新坦翁の家に束恩納翁、国吉翁、湖城翁、糸洲翁、安里翁の名人達が集って唐手談議をされていた時の話である。
『チニンガー、たばこ盆を持って来なさい。」 「ハイ!かしこまりました。ただいま持ってまいります。」 私は早速、灰の入ったたばこ盆をとり、やや緊張した面持ちで部屋に入り、丁重に差し出そうとした殺那である。
背後より、「カーッ!」と鋭い気合が発せられたと同時に六尺棒が足元にうなりを上げて打ち出されてきたのである。
映画ドラマならば、「飛燕のごとく、身を空中に翻し、一撃を軽くかわす。」といったところだろうが、まったくの反対で、よける間もなく、足首をしたたかに打たれ前万に「ドドーツ」と倒れてしまったのである。

「いったい唯が・・・・・くそー! 痛い……」 たばこ盆をしっかりと持ったまま、打ち出された方を振りむくと、新垣翁がかすかに笑っている姿が目に入った。
私は、「カァーッ」と頭に血がのぼり、あとは無我夢中・・・・・。 「後から打つとはヒキョウー、もうトーディなんかやめてやる! 今はピストルがあるから、それでやっつけてやる!」 とわけのわからぬ悪態をついて、持っていた煙草盆を老先生遂に向けて「ヤーッ」と投げつけ、戸を蹴破って逃げだした。
部屋中、そして老先生方の頭、身体は灰だらけ・・・。
その時の逃げ様は、まるでキントンに乗った孫悟空のようだったと聞かされた。

 話はこれだけのことだが、私には想い出に残る一つの大きな出来事である。 新垣翁は決して憎くてやったわけではない。私の成長を各先生方に見せるための行為だったのである。その頃の修業は、稽古時はもちろんとこと行往坐臥常に実戦であり修練であるとの暗黙の了解があり、秩序があったのである。

「油断なくふるまいなさい」「ふし穴からのぞくな、なにが飛ひ出すかわからないよ」「家の出入りには注意しなさい。
戸口に立 つな、離れて待て」「角を曲がる時は大きく回れ」等々、やかましいほどにいろいろな事について注意をうけていた。
だから、打たれた時も、油断なく構えることを心掛けていたらと思うし、逃げだした後も己自身の未熟さを反省すればよかったと思っている。しかし、人生は山あり谷あり、平隠無事にいかぬものである。
思えば、その頃は少なからず自分の強さに慢心していたことは否めないし、この「煙草盆投げ事件」を節に、唐手そして人生の勉強を逆に投げつけられたのである。  

 家出後、私は「手」をやっていそうな者を見つければ、手当り次第勝負を挑み暴れ回っていた(★)。そんなある日の夕ぐれどきである。“今日もひとつ、生意気そうな奴がいたら勝負しよう”と、繁華街通りの裏小路でうろうろしていると、暗がりから「オイ若いの! えらく威勢がいいみたいだな」と、“ズン”と腹に響く声がした。振り向くと帽子を深く被った男が立っていた。

「な、何だ!なにか用か」と声を荒立て返答すると、「最近、大バカ者が暴れ回っていると聞いてな。ならば、どんなアホー面をしているか見たくて来たんだが・・・・・、まさかお前さんじゃなかろうな」
「あんたもモノ好きな人だね。そいつがこの俺だったらどうしょうというのだね。」
「こらしめてやろうと思ってな。ハハハハハ・・・・・」 私は、カチンと頭にときてしまい、「何を言うか」とむきになって攻撃をしかけた。だが攻撃手が空をきり全然通用しないのである。
その時ほど「恐ろしい」と思ったことはなかった。後は、打たれ、投げられなされるがまま、まるで自分の体がお手玉にされているようであった。

気がついた時は、我家に寝かされていた。 その老人こそ、私の恩師新垣翁であったということは後日聞かされ、恩師の「愛のムチ」に感謝をしたエピソードである。
私はその後、そのことがきっかけとなり唐手に対する考え方を改め、より広い視野で唐手を修行する気持が芽生え、盟友宮城長順との出会いそして 那覇手東恩納寛量先生への弟子入りとつながっていったのである。


※ この頃時々「長順や先生達が迎えに来ている・・・・・」ということを言っていました。 私は“冗談はやめてください”と言い返すのでが、「もういいだろ・・・。ハハハハハ...」と笑うのでした。

★ 爪先蹴りの安吉の異名を持った「新垣安吉」との出会いと、壮絶な“かきだめし”、そしてその後、義兄弟の契りを結んだ逸話が残っています。


新垣世璋翁と花城長茂翁の貴重な写真

 

(後列)会長・比嘉清徳、理事長・上原清吉
顧問・喜納昌盛、最高範士・千歳強直、顧問・伊礼松太郎
沖縄空手古武道連合会





1984年2月(最後の寄稿)

朱に交われば赤くなる

カンディアンロッキーを背に
1984年6月6日逝去(享年86歳)
「龍精」となられる

『朱に交われば赤くなる』ということわざかあるが、これは、朱の中にまじっていると朱にそまって赤くなるよ うに、良い人と交際をすると良い方向へ、悪い人と交際すると品性が悪くなっていく意味で、皆よく存じていることと思う。

これは又、『丹の蔵するものは赤し」ともいわれ、その中で「丹」は、昔の中国において不老不死の仙薬を作る原料と呼ばれ、まごころ(赤心) の意でもある。また「丹」は、丹田とか丹念、丹誠などの大切な言葉にもつかわれ、心身の健康、護身の技を養成する千唐流空手道にとっては密接な つながりを持つことわざの一つと常々思っている。

 心身の健康とは、生きていくための第一条件であることは今更強調するものではないが、最近の青少年の心身の不健康いわゆる弱い者いじめ、 校内暴力など、不良化の増加については非常に関心の高い問題である。

なぜならば古来より伝わる唐手を現在の千唐流空手道として体系づけたの大きな 要因の一つは、青少年の健全育成ということが最重要課題だからである。

空手は、突き、蹴り、飛び、はねそしてころがって相手を倒す武術ではあるが、それはあくまでも最後の手段。自己を磨き、自信と勇気そしでさ らに強さのなかから相手を思いやる心を育てる武術であって、決して相手を威圧するものではない。

幸い千唐流を修業している人は皆礼儀正しく、 学校や職場においても
一生懸命勉学にそして仕事に励み周りの人から信頼されていると聞き及びとても誇りに思っている。  

以上のことから、干唐流空手道がこれからも、様々なかたちで困難な状態におかれている人の手助けとなり、且つまた学校教育の一面を補助 するすばらしい武道へとさらに成長するよう努力を傾注したい。
そして修業生一人一人は尊敬信頼される「朱」、「丹」となって、大きい“和”を広く 世界に築きあげていってもらうことを願うものである。
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