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(2)

7 月

門戸開放の機運


糸洲安恒先生

門外不出として極秘裏に継承されてきた空手道が、今日、広く世間一般に武道・スポーツとして定着し、 益々飛躍的な発展をとげていることは、空手道を冨名腰義珍先生と共に日本本土そして世界各国へ紹介した一人として大変うれしく思っている。

しかしながら、昔、ともに汗を流し鍛錬しあった、今は故人となられた多くの恩師や友を思うと、更に精進を重ね正しい空手通の姿を残していかなけれ ばならない大きな責任を感じているこの頃である。
では、門外不出とされてきた空手がどのような経過をもって世にでたかを振り返ってみたい。

明治34年、首里尋常小学校での出来事で、それは、新垣翁と親交があり、少年時代の頃私をとても可愛いがってくれた糸洲安恒先生が、 授業後一時間ほど好きな空手(※)を教えていた頃の話である。

『ある日の校内身体検査の時、四肢五体が均斉に発達し、 一見して他の者と区別できる程に引締った発育著しい生徒か多数発見され、「これはすばらしい。いったいどのような体育指導を行っているのか。」と、 校医や軍医を驚嘆させ話題にのぼったのが事の始まりだった。特に当時は、ヨーロッパ諸国に追いつき追い越せ、富国強兵、質実剛健の気風が盛り上がっていた時代だから尚更だった。』

それらの事は一早く、当時の県視学官小川鉄太郎氏にも報告が行き、さっそく小川氏の列席の下に糸洲先生も呼ばれ、先生の演武を見られた。そして、空手についての特長などを熱心に聞かれ、空手の持つ体育効果を認識理解され、大きな感激をもって文部省に上申されたとのことであった。

こうして明治37年、体育の正課として県立男子師範学校、県立第一中学校に、公認許可される事になったのである。
糸洲先生は、空手が正式な科目として認証された後、師範学校に移り、大正3年8月9日86歳で永眠されるまで空手道の普及につとめられた。 今日は、従来極秘にされていた空手道に門戸開放の機運を結びつけた出来事を、一例をあげて述べてみた。

皆さんは空手を修業する上で次の事は忘れぬように。  
『空手は、進んで人を攻撃する武術にあらず、退いて身を護る術。 我身の平和を侵略しょうとする賊を防ぐ為の平和主義武術であることを・・・・・」
※その頃の沖縄の一般の人達は、身近にできる徒手空拳の術を手(ティー)と呼んでいた。
当時の代表的な型ビンアン(原形は一つ)及びナィファンチの形であった。



8 月

基本姿勢

今月は、私達が日々の生活を送っていく上で、もっとも関心のある「健康」における基本的な身体の姿勢について述べてみる。  

現代は早いテンポで変わっていく生活環境の中での仕事や勉学において.中腰等の無理な姿勢や精神的圧迫を強いられ、それらが原因で知らず知らずのうちに心身の疲労を蓄積される。そして、肩こりや筋肉痛あるいはストレスなどの、健康を害する要因をつくりだすことに結びつくことか見うけられる。

『空手の立様は腰を真直ぐに立て、肩を下げ、力を取り足に力を入れて踏立て、丹田に気を沈め、上下引含するように凝り堅むるを要すべき事。』 昔から「万病は背骨から」という言葉があるが、体の大黒柱である背骨をいたわらないと心身の健康を損なういわれといる。
背を丸くして浅く弱い呼吸をしていると、内臓の働きや精神的活動を低下させ、食欲がおち、活力がなくなり、逞しさが失われ厳しい夏の暑さや冬の寒さをのりこえていくのが苦痛となる。

皆さんにおいてはそのようなことはないとは思うが、基本・形・組手などの稽古においては、正しい姿勢と呼吸そして下腹からでる気合を入れることが肝要。  では、正しい姿勢についてもう少し詳しく話してみる。

「含胸抜背(がんきょうばっばい)」という姿勢をあらわす言葉があるが、これは、胸が自然な状態でふくらませようと思えばふくらむのが「含胸」で、背骨をのびのびとさせることが「抜背」という意味。

これは、「気をつけ!」における上体の姿勢ではなく、上体の力を抜き、人体の生理的自然度の湾曲を持つ自然な姿勢のこと。 この姿勢が技を生かし.健康増進への道を切り開いてくれる。
なぜならば.その姿勢が呼吸をゆったりさせて精神をリラックスさせ.技においては、腰を中心に行う突き蹴りなどの各種技が神経系の中枢である脊髄を刺激し、すべての内臓をマッサージする状態となって活発に循環器系を働かせ活力を養っていくからである。

(正整の形) 形の中に、正しい姿勢と技を作り上げる事をおおきなねらいとした「正整・セイサン」いという形がある。
背筋を真直ぐのびのびと伸ばし、 一挙手、一蹴足に正確な動作を必要とするこの形は、非常に洗練された攻防技で組み合わされ。枝の前後には、必ず、半月立ちで、 深い呼吸を入れた中段外受けの技が入るところに大きな特微がある。

この姿勢は自然であり、しかも美しく力強く、まさしく「心」と「体」を正しく整えるすぱらしい形といえるである。
「形をただ食べるのでなく、時にはしっかりと味わって食べてみたらどうかな!」〈次へ〉 (3)



   

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