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コーサーはスナイパーの手


ナイハンチ技法の研究と歩調を合わせて追究している「龍精の基本考察」に一区切りができ、次のテーマに移行しようとしていた時に、ふと気付いたことをレポートしたいと思う。 その内容は、「コーサーの手指の動き」と「半月立ちは中立(なかだち)」の二つである。 基本考察から離れたテーマを、と思っていたが、結局、又基本に戻るかたちになってしまった。これには自分自身に対し若干の不満もあるが、 基本技術の底上げと理解して今後も直感の閃きを大切にしてきたい。

先ず以前にも述べた二つの話を取り上げる。
1、競技・スポーツ空手の指導者から指摘された話。 「あなたのところ(龍精)は握りがあまいですね・・・、それでは試合に勝てないですよ!」。 この“握りがあまい”ということは、正拳(こぶし)が強くしっかりと握られていないことを意味するものだ。スポーツ空手サイドから見れば、 組手試合競技における怪我の要因あるいは型試合競技において減点対象項目の一つに挙げられ、意外と重要なポイントなのだ。 なぜならば、私もかつてそうであったように、空手を知る大半の人達が拳ダコを作った拳(拳固)が強い空手の象徴と信奉しているからだ。

2、ある老人が、昔の手(ティー)を振り返った時の話。 『 私達が12、3歳の頃に教えられ拳の握り方は、今の拳の握り方とは違う。昔は平手だった。現在の突きは前方に“水流し”といって下にさがっているが、昔はそんな手はなかった。 真っすぐに、かえって上にあがる心持ちで突いたものだ。(中略)…これは首里の松村系の流れが本物だ。』 平手については、「手の原点(In Search of the Origins of Te)」で詳しく述べている。


1・2.から言いたいことは、本来自由であるべき手・指の動きを、意図的に五指を強く握ってつくる拳(コブシ)の中に封じ込め、 競技を主体とする体育スポーツ(ボクシング&キック)に変質させたのが現代空手の正体である、が一つ。 次に、競技や格闘を目的とした空手を超えた空手の存在、そしてその空手には自由な発想と独創を可能とする空間が在るという事実を知ってもらうことだ。 今回のふとした気付きも自由な発想からでたものだ。ではその経緯を追いながらテーマの中心へと進むことにする。

さて私は、今年に入り日本を取り巻く昨今の東アジア情勢を様々な情報を集めながら自分なりに分析してみた。でた答は、何れ銃を取って戦う時が来るのではないかという一抹の不安だった。 とは言え、我々一般庶民には、厳しい許可制下にある猟銃、競技用の弓あるいは玩具としてのモデルガンなどしか持てず、一朝有事の際は如何ともしがたい。そこで、さて?…と考えた…。

「小銃+空手=の答は近接戦闘のノウハウ。しかし、銃を携行した戦闘は軍隊のカテゴリーなので、試みてみたいと思うが空手道場の中で行われる稽古形態を逸脱してしまう……」

「空手は無手、武器の全ては無手の延長に存在し身体と一体となる。ならば、形状や火力の決定的な違いがあったとしても、 近代戦闘の銃と古武術の六尺棒を同じ武器として見てもよい?厳しい・・・、でも両者が全く異質な思考の下にあるとはいえ、 もし生死を分ける戦いの状況の下に置かれたならば、戦闘する意識という状態は同じ、と理解すれば細い線とはいえ結びつけるに適う理があるのでないか……?」。

等など、支離滅裂をも含めいろいろ想像を巡らしてみた。そこで思いついたのが、六尺棒の操作に銃剣術の何手かを加え、 先ず気分だけでも小銃(ライフル)を携行しているという意識を持つことから始めてみる……であった。 そして以前から考えていた基本棒を創作しながら何気なく(引き金部の)右手と(銃身を支える)左手を見た時にハッ!としたのである。「これってコーサーとメーゴーサーじゃん・・・云々」。

私は、平手の技法を「貫く/通し、切る/斬る、刺す/挿しこむ」といった剣術と類似する用語を使って説明している。だがこれまで「撃つ」という銃の用語を考えたことがなく、 その時のコーサーと銃の閃きにはとても新鮮な感動を覚えた。


小銃の射撃

構えに入る
(指はリラックスし常に微妙に動く)

アーチェリー
(Roland Figgs 錬士_USA)


写真①の構えに入った時の手は、各指が常に微妙に動き、いつでも攻防の手へ瞬時に変化する準備ができている。 小銃のトリガーを引く人差し指も一緒で、微妙な指の圧力加減一つで単発と連発が調整でき、常に次の動きに備えている。 そして、銃の引き金を引く指と瞬時に変幻するコーサーやメーゴーサーの指の感覚が、戦闘意識と共に微妙に一致してくる。  (実弾射撃の経験をしたことの無い人にはピンとこないと思うが、私は戦闘射撃や銃剣術の訓練経験があり身体がその感覚を記憶しているので、決してイメージで述べているものではない。)

コブシを使っていたころは、突き当ててポイントをとる・ダメージを与えることだけに集中していた。だがコーサーの次元に入ると、コブシを握らない分身体はリラックスするが、 一刺しの気持ちが徐々に一撃で仕留めるという、研ぎ澄まされた感覚へと変化してくる。それは、目標を定め、今正にトリガーを引いて射撃をするその瞬間の精神状態と酷似しているのだ。 私は「一拳必殺」とか「一撃必倒」の言葉はあまり好きではないが、コーサーを含む平手を当たり前とするようになってからは“勝負は一瞬”の意味が理解できるようになった。

理由はスナイパー(狙撃者)が一発の銃弾で敵を撃ち仕留める感覚が、コーサーの中にも潜んでいることが分かったからだ。 それは又、今まで考えられなかった銃火器の「撃つ」の用語が平手技法に加えられたうれしい瞬間でもあった。


コーサー(Kosa)

狙撃手

メーゴサー(Megosa)


コーサーはスナイパーの手_2


Ⅰでは銃剣格闘、戦闘射撃の経験から、トリガー(引き金)を引く手とコーサーの類似性と拳(こぶし)打法に対する意識の変化を述べた。 それから約2年。コーサーを中心とする打法が定着した今の練度の状態を綴ってみたい。

先ず、これまでの強く打ち当てる打法から“刺し込む・切り込む”へ意識に切りかえたことで、強く固める拳(こぶし)への執着が消え、手刀・背刀・平貫(コーサー・メーゴーサー)・貫手の鍛錬が、妙な言い方だが“刃を研ぐ”のような感覚に変化し、「身に寸鉄を帯びず…」の言の葉が“手刀(刃物の手)”と重なるようになった。
そして次に、先に述べた拳への執着の消滅と共に、しめ腰そして袴腰を使った身体操作が感覚化し無駄な力みが少なくなった。そして以前とは質的に違う柔らかな動作表現ができるようになってきたように思う。
(※各関節のロック状態が解放される)

では、この変化をもたらしたのは何か。 それは、これまで再三述べてきた刀剣法に対する畏敬と畏怖の念が、常に意識されていたことが大きい。と言うのも、常に死と隣り合わせの剣術と、打って当ててなんぼの空手では、“色即是空 空即是色”の精神性云々をいくら唱えようが武道の次元が違うからである。

私は、その術レベルの圧倒的な差を縮めるには一体どうしたらよいかを考え、悩み苦しんだ。そして出した答が、「手刀」を多用する古流の技法の根にあるのはいったい何かを探ることであった。

「手刀」の用語はいつ、何を基に名付けられたのか?私はこのように推理する。 1609年薩摩藩の琉球侵攻で初めて刀と元来琉球の地に伝承されていた手(ティー・武術) の戦いが発端となり、その後の武士の交流が進む過程の中で、手の術に刀の術が融合され て行き、いつしか「手+刀=手刀」の言葉が名付けられていったのではないだろうか。

ただこれは、決して唐突な推理でなく、天眞正自源流の文献にも残る「琉球侵攻誌」、名護親方程順則が記した「武 家伝一剣是龍精」、自源流免許皆伝を修得した松村宗棍親雲上の話、そして唐手第六代千歳翁が遺した古流ガンフーの形と技法の稽古を通して読み取れるからである。

千歳先生は、拳を主にした巻き藁稽古をしている私に向かって「背刀をしっかり鍛えなさい」と言われた。今、その意味がしっかりと理解できる。 だからこそ、自信を持ってコーサーを前面に出すことができ、そして剛だけのサンチンから脱皮し「サンチン結テンショウ」という、剛柔を結びつけた鍛錬の形を作り上げることができた。
さらには「打撃のノウハウを教えるサンチン」のレポートで、古伝手に隠され真実言わば謎解きに一歩踏み込めるようになったのである。 <上に戻る>




   

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