ヌンチャクと私ヌンチャクを護身用の隠し武器として身近に置いてかれこれ48年になる。 ヌンチャクとの付き合いは、剛柔流猛者の松下さんから初めて空手の指導を受けたのが始まりだ。その当時(1964年頃)私の周りでは、
二本の短木を紐で結んだ変な物・ |
ヌンチャク操作を習っていた時に教えられた忘れられない言葉がある。 |
ヌンチャクと変手法 |
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ヌンチャクは、映画「燃えよドラゴン」ブルース・リーの影響もあって、現在は一般的に振り回す道具として知られ、各流会派の演武披露では振り回しが主で、中には新体操方式が加わりとても派手な立ち回りのようになっている。 |
私は内弟子の頃、千歳先生の二丁短刀(ナイフ)の演武を一度だけ見たことがある。今でもその美しい動きが脳裏に残り、いつの日か挑戦することを自分自身への
課題としている。 稽古を続けていると大なり小なりの必ず疑問がでてくる。そこでその答を見つけ出そうと いろいろ思案するうちに新しい考えやアイデアが浮かび、結果的に技法の小さな変革が起こる。
そしていつの間にかに次のステージへ向かって進んでいることがある。 |
ヌンチャクと拍子木「ヌンチャクと護身力」の掲載が終わり、次のレポート用の資料集めをしていたところ、チャンネル桜に関連するサイト上で気になる記事を見つけた。 それは東京都荒川区議会議員・小坂英二氏のブログにあった「いじめ問題について」の記述だ。内容を抜粋する。 |
私は、小学校では野球部、中学校では柔道部に所属していたこともあり“いじめ”という言葉には全く無縁で過ごした。
そして成人後、空手を通じ海外の空手家と交流を始めてからは、日本人として彼等には絶対負けないという強い気持ちと闘争心を常に持ち、指導者の立場になった今、
少しは丸くなったが戦う気持ちは以前の姿勢と変わりはない。 |
拍子木 |
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拍子木 |
太鼓のバチ |
練習用ヌンチャク |
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私が中学生まで育った町では、消防団(警防団を兼ねた)の人達による夜回りが定期的に実施されていた。黒光りした錫杖を”ジャラーンジャラーン”
そして拍子木をカチカチッと突き打ち鳴らし“戸締り用心、火の用心”と声をあげながら町内を見回る。寒い冬の季節には子供会も当番を受け持っていた。 |
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錫 杖 |
拍子木は通常両肩に掛け、結び紐側を持って打つ(山車や神輿の祭り/下写真)。拍子あるいは音頭をとり楽しみや注意を知らせる道具に徹し、
何かしらほのぼのとした純和風な和やいだ気分そして雰囲気を周囲へ投げかけることができる。 |
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祭りと拍子木 |
紐の節はヌンチャクの柔軟性とスピードを生む |
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そこから見えることは、空手など徒手空拳術が有する簡易な(木製)武器は、生活の中に溶け込んだ単なる道具の一つに過ぎないが、 危険がせまりいよいよ争いが避けられないとなると護身のための武器の顔へ一気にトランスフォーム(変身)することだ。 |
私は近くの龍田山(標高152mの小山)を稽古場所にしているが、山に入る時は必ず練習用ヌンチャクを携行する。
真っ暗な山道を、ヌンチャクをカチカチと叩きそして振り回し、時折“火の用心、防災用心、ワー…、ヤー…”と叫び、御経や空手吟を唸りながら歩く。
何のことはない、暗さと一人だけの怖さを何とかしたいだけの話なのだが…。 |
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また、私は旅など外出する時は護身用の短ヌンチャクを「御守り」代わりに持つ。 21歳の時(自衛官時代)の与太話がある。それは北海道千歳の飲み屋街でヌンチャクを手にナイフとのストリートファイト一歩手前を経験したことだ。 構えての睨み合いと威圧する掛け声だけで格闘まではいかなかった。 今だから言えることだが、もし手元からヌンチャクが飛び出していたら大変なことになっていたと思う。 |
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短ヌンチャクは節紐が長く樫棒の長さは約25p |
共に文化を持つ私が空手を通じて交流する海外の友人達は、自分の身は自分で護る事は常識であり当然と考える。
そして彼等は、空手が競技スポーツを超えた武道文化のレベルに在ると確信する。なぜならば、沖縄を発祥(支那大陸ではない!!)とする空手は護身術に長け、
日本武士道の崇高な精神文化が存在していると信じるからである。 |
得物を相棒にしろ “カチカチッ…防災用心・火の用心…カチカチッ” (平成24年10月7日) |