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導引法

導 引 法
導引法は空手稽古の補助手段として技法体系の中に組み入れたものです。現在は稽古の 導入部の一つとして活用しています。しかし自分としては、導引法を技法課程に置いていない事もあり、他技法に比べ消極的な取り組み姿勢をとっているなと感じています。 その理由は、導引法は強制的に推し進めるのでは無く、あくまで興味を持って自発的に取り組むことによって効果を実感でき。そこには個人差があると考えているからです。 それでは、導引法について過去に述べた内容を振り返りながら、私の空手目線からの解説を簡潔にまとめてみたいと思います。

由来
病気になる前に体内に気をめぐらせて病気をつくらない健康な状態、いわゆる身体を自然の理にかなった状態にする方法と定義する「養生法」が由来です。 養生法は、静功法(座禅)と動功法(歩禅・作務)の二法に分かれます。時代の推移とともにいくつかの動功法の形が創られ、それらの形に「気・血・水」 「経絡」を真髄とする東洋医学、陰陽学等の発想が加わり、今日では「気功法」あるいは「導引法(術)」と呼ばれるようになったのです。

始まり
きっかけは、合気柔術・菅原月洲先生からの呼吸力を身につける方法の補助として「八段錦」の練習を勧められたことに始まります(1974)。 私はそれまで、独学で自彊術(じきょうじゅつ=大正5年/1916、手技治療師の中井房五郎によって創案された健康体操)を行っていたので、 ほとんど違和感もなく八段錦の習得ができました。そして、その後に巡り合った「少林一指禅」、「羅漢八動功」、「羅漢易筋経」の動功法についても同様に、“(記憶の中で) これ以前やったことあるよ……”という不思議な感覚を持ちつつすんなりと身につけることができたのです。多分それには、三島市の龍沢寺(臨済宗)で二週間の短い間(1973) ですが禅の修行をさせていただいた記憶、そして次に、導引法の中に「心の働きを集中させ、心を静かにして動揺させない」という禅の修行の世界を感じたからだと考えています。

目的
呼吸に意(意識)を乗せ、「気」を身体内の隅々まで巡りわたらせることを基本とします。
① 空手の鋭敏かつ瞬時の動きに対応できるための練丹(丹田の練成)。
② 意を体外へ放ちながら、木々や草花、風や水の流れの自然の意識を素直に感じ入れて、静けさの先にある自然との一体を目指す。
③ 生命そして健康の源を考察し、人生の哲学を探求していく。

練習
導引法は空手稽古の補助手段として組み入れたもので技法課目の必須ではありません。 そのために、練習は指導者あるいは個人の自由選択の下におこないます。 私が導引クラスを持っていた時は、八段錦・少林一指禅・八動功・易筋経の四動功法の他に、 六尺棒を使っての柔軟運動・ストレッチ運動・意の集中と通し、そして、太極拳風に創作したバッサイとローハイの形の練習を行っていました。

導引-仏道
私が導引法を練習する上で信念としているのが、導引は仏道を修行する禅僧の食生活と共に身体の健康を支える動功法であるとの考えです。 そのことから私は、導引が中国拳法から派生した気功法との考えを持つことはありません。 又、私は今、「座禅」ではなく基礎運動の一つのウオーキングを「歩禅」として捉え実践しています。それは歩きながら、暑さや寒さ、雲の流れや風のささやき、 小鳥のさえずりや虫の音など、周りの自然との意識の掛け合いをすることで、そこには“健康のために歩く”あるいは“トレーニングする”といった運動の感覚とは違う、 別の体感ができる面白さがあるのです。

導引を見つめ直す
下は5年前、熊本地震(平成28/2016、4月14・16日)の天変地異を目の当たりにしながらレポートした「導引を見つめ直す」の内容からの抜粋です。
『6年前から取り組み始めた基本技の原理の追求や古流の考察が進むにつれて、サンチンの練度も深くなり、結果的に導引を隅に追いやる状態をつくってしまいました。 その理由は、導引の気(生命エネルギー)や意識の運行が、サンチンの稽古で学びとれると考えたからです。ですが今の私は、それが早合点であったことを学習しました。 それは、「術-道-心」のつながりの分離です。私は知らず知らずの内に、術(技)の修得に偏り、いつの間にかに禅を修行する心が身体から離れていたわけです(下図左)。


 

私は今回の熊本天変地異は何かを変える機会と捉えました。
若葉の季節を迎えた今、私は遠ざけていた導引(八段錦・一指禅・八動功・易筋経)に目を向け直し、「術-道-心(図右)」が常に刺激し合う空手を目指していきたいと思います。』
私は「術-道-心」のあり方が、現在の空手修業に織り込まれているかを自問しながら、さらなる技の探究と実践に努めて行きたいと道を歩んで行きたいと思います。(令和3年12月3日)
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