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レポート・Report



空手との出会い

私が空手に初めて出会ったのは、少年工科学校の相撲部に所属し、同期の池田秀国(長崎)、石川寅夫(島根)と一緒に 押して押して耐え忍ぶ 練習に励んでいた土俵隣の広場で、一人黙々と立木(巻わら)を打ち、木の枝に吊るしたボールを蹴る練習をしていた松下さん(ナイキミサイル部隊)の姿を見た時です。

その空手はどういう因果か、後年、恩師と仰ぐことになった千歳強直翁(唐手第6代継承者・千唐流開祖)の 盟友宮城長順先生が創流した「剛柔流」だったのです。

爾来稽古を続ける上で、「剛と柔」にはとても親しみがあり、大切な技法のキーワードとなってきました。 そして……、

今はそのキーワードが「剛の中の柔、柔の中の剛」に変化し、そこからさらに、技法の深層へ切り込んで、己の意識を進化させていく次元にきています。正に相撲部で叩き込まれた「押忍」の世界に真っ只中我有なのです。

(写真①は相撲部。②は千唐流世界大会での古流形転掌・テンショーの演武)











千歳翁の空手に入門したのは、陸上自衛隊少年工科学校卒業(1968 #10期)後、配属先の部隊(第1特科団・北海道
北千歳) の空手部に入部した時がスタートです。

そして千歳翁の、手が螺旋を描く空手と運命的な出会いをしたのが、空手部長の益留寛治先生(③)と共に 熊本の総本部道場を訪れた時です。

そのきっかけは、大阪万国博覧会で(1970)のお祭り広場で開催された空手演武会だったのです。
当時は、後年“虎と戦った” 養秀会の山元 守(勝王)先生 (写真④)を筆頭に猛者ぞろいのメンバーが千歳翁を取り囲んでいたのを覚えています


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