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打撃力の質的変遷と古伝手への誘い

空手は打撃の格闘術と認識される。私は、その打撃の力を質的に向上するにはどうしたらよいかを思考し稽古を続けてきた。そして今、 その過程を振り返ってみると二つのターニングポイン(分岐点)があったと思っている。 今回は打撃力の質的な変化をもたらした稽古や事象などについて回想を交えながら短いレポートをする。

鍛錬具と巻き藁
(技法と言っても)速さとタイミングそして力任せの突き蹴りが主体であったそれまでの空手から、曲がりなりにも「しめ・しぼり」の技法理論の構成を導き出し、 さらに古流(古伝)への意識を持たせることができたのは、チーシ、サーシ、カメ、力石、鉄下駄の古くから伝わってきた鍛錬具と巻き藁を用いた体練である。

鍛錬具は、持って、握って、抱いて、履いて歩くことから始め、そして呼吸法を重視する「しめ」、「二十四歩」の形に組み込んでの体練に移る。 私は約5年間集中してこの鍛錬を反復し、3年目を過ぎた頃からは鉄下駄を履いてチーシを持ち、約5分間のサンチンをへたばることなくできるようになっていた。

巻き藁は、攻撃部位である拳頭から始まり背刀~爪先まで全ての部位の打ち当て稽古を繰り返した。ただメーゴーサー(平貫)だけは何故か“使えない?” との観念が先行していていたので、腕立て伏せ運動に組み込んで手首立てと共に鍛えていた。 この最初の分岐点は修練期間が長かった。しかし、身体を固め、筋力を強化しそして攻撃部位を時間をかけて稽古したことで、古流(古伝)を継承する土台(基礎)作りが この時期に形成されたと思っている。


真剣刀法&しめ腰
次の分岐点は、平成16年6月24日埼玉県春日部武道館で唐手第六代千歳翁が継承した古流ガンフーを、完全な状態での復元は無理とは知りながらも何とか近いかたちで構成し 知の領域に挑んだ直後に連続して起きた二つの出来事だ。

経緯についてはこれまで何回となく述べてきたので省略するが、一つは天眞正自源流上野景範先生との出会いである。私はそこで、真剣刀法の凄まじさと奥深さを見聞し、 現代空手の思想から技法に至るまでの貧弱さを思い知らされた。そして今のまま(技法)ではとても太刀打ちができないと直感した。

そして二つ目が、長年探究を続けてきた「しめ腰とはどのような技法か?」の課題(30数年前に新里勝彦先生から出された技法)に対し明確な答えが出せたことだ。 私はこのしめ腰の理解によって空手の力の原理そして腰の操作法を修得することができた。

それはこれまでの空手技法を180度ひっくり返すほどの大きな改革で、 結果として基本技全般そして対真剣刀法を睨んだ武器術の見直しにつながり、理論的には「しめ・しぼり」をより詳細に解説できる「丹田回路」を構築するに至ったのである。

この段階を要約すれば、筋力絶対の固める技法に腰を中心とする力の原理と理論(しめ腰)が支えとなって加えられ、鞭のような激しい打撃の力が「勁」の用語と共に 現実化したと思っている。
そしてさらには古流(古伝)への道筋が整えられたとも言えることができたと確信している。


袴 腰
袴腰とは日本の芸道全般に共通した基本の姿勢で特別なものではない。千歳翁も当然のごとく用いていた。

しかし、残念ながら多くの千唐流指導者がその大事なポイントを 見極めそして自分達の空手技法に反映することができなかったのである。
この袴腰を示唆し、その原理と力学をナイハンチの技から紐解きそして指導してくれたのが(しめ腰の時と同じく)
新里先生である。今春の事でまだ日は浅いが、 自分では現在第三の分岐点の上に立っていると感じている。

その理由の一つは、サンチンに袴腰と∞字動を導入したことで、剛のサンチンが柔のサンチンへと明確に変身し始めたこと。次に、袴腰 + しめ腰から放たれる打撃に烈しさが 加わってきている感覚を身体が読み取り始めていることだ。

各技法がこれから先どのように変わっていくかは稽古を続けることで見えてくるが、次のレポートが早く出せるように努力していきたい。 <上に戻る>



   

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