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唐手歴代先達者
Todi Master

唐手(トゥーディ・Todi)は、沖縄古伝(古流)の手(武術)です。
唐手修業者は常に唐手歴代先達者への尊敬の念を忘れないように心がけてください。



初代 知念親雲上
1688年~清王朝閩で修業。
1708年、唐手武人の尊称を「龍精」と命名した名護親方程順則が「六論衍義」を清王朝よりもたらす。
☆1726年、琉球王朝御附武官・唐手伝人となる。


二代 佐久川寛賀親雲上(写真) - 松村筑登之親雲上宗棍(写真
☆1804年継承。
佐久川翁が、北京から王事の任のため宮古へ移られたのを機に、松村親雲上が二代後継者となる。
そして佐久川翁の遺徳を後世に長く伝えるため「唐手佐久川の称号」を尚王に進言、印可を賜る。
松村宗棍翁の唐手は、琉球武術・手(ティー)に強い影響を与えていく。 

松村宗棍翁の動画(Ryukyu no Samurai


三代 阿波根親方
☆1818年継承


四代 外間親雲上(鄭氏屋部親雲上)
☆1838年継承


五代 新垣世璋翁(写真
☆1860年継承 唐手松村系の流れを受け継ぐ


六代 千歳強直翁(写真
☆1920年継承
沖縄名は知念近直、初代知念親雲上は千歳翁の先祖である。
在京した後千歳性に改名し、その後熊本菊池市に移り「千唐流」を創流する。


       

Sakugawa Kanga

Matsumura Sokon

Aragaki Seisho(left)
      Hanagusuku Tyomo

Funakosi Gichin(left)
   Chitose Tsuyoshi
(1955/8/18東京都豊島区)


沖縄の武術「手」を「空手」と命名したのは、千歳翁の小学校の恩師であり“日本空手道の父”と敬われている冨名腰義珍先生(写真)です。

それまでの沖縄武術は「手(ティー)」と呼称され、「那覇手」や「首里手」が「手」の主流で、武士階級から一般庶民の間まで幅広く 稽古されていました。 しかしその中で「唐手」は特別な存在で、誰もが簡単に修得できる拳法武術ではなかったのです。

その理由は、伝統継承の歴史的背景、難解な開手技法と技法理論の紐解きの不可解さです。
唐手は、柔らかく繊細、一見”舞”のような動きで、「これが拳法?」と思わせる内に秘めた技法で確立されています。
そして唐手は、 その技法に自分自身を超越する「何か」を要求してきます。

その「何か」とは?それは「鍛え至った静けさの中(先)にある自然との一体(融合)」、「霊肉一体の至上境への到達」と言われるものです。
これはとても難解で、とても一筋縄ではその境地へ到達できない究極の命題です。

唐手を意識し始める形の段階は、公相君、龍山のレベルに達してからと判断すると良いでしょう。

ただし漠然と順番を追って単に動きを真似る姿勢では何も得ることはできません。虚しさ(空しさ)が残るだけです。
これは、その道に踏み込んで理解できるもので外部からその実態を伺う知ることはできません。

唯言えることは、千歳翁の教えである、 「生理医学に立脚する空手道」、「空手は空気や水のようなもの」、「三戦は、一万回の鍛錬稽古しなければモノにはならない」を理解し、 ひたすら鍛えそして練り、技法を考察・創意工夫しながら修練を継続することが肝要と言えます。

高く聳え立つ天山の麓にある唐手の城の門はいつも開いています。しかし、急峻な崖を一気に登り、いきなり城に攻め入ることは至難です。
繰り返しますが、十分に鍛練し、自分で考察した技法理論を携え昇って行かなければならないのです。

唐手継承室 八段教士 坂本 健
 ☆2006/6月 光風(ガンフウ・Gungfu)を完遂し唐手継承を果たす_ 動画(wmv)はこちら    




   

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