古流唐手トップ・Top

古流唐手ホーム・Home

レポート・Repot


変手法の本質(the essence of Hente)


「変手(へんて/へんしゅ)」とは古流(古伝手)の組打ち(組手)技法の名称で、千歳翁が創流した千唐流にはニーセイシ解説11構、 変手28法そして投げ15構を技法体系に組み入れた。

千唐流は千歳翁没後、分裂を繰り返していくつもの会派に分かれた。幸い「和忍・力必達」の理念は堅持されているものの、古伝手である古流形の姿が消え そして今回のテーマである変手法の技法については、約束組手の型ステージに止(とど)まったままで、私が知る限り技術の進化はほとんど見られず今日に 至っている。それは昨年のカナダ講習の折に何回となく聞いた
“単に順番を追うだけの練習に対する不平と不満”、“変手法を三十数年以上練習してきて いるが、作用しない(do not work)技がいくつもあるがそれは何故なのか?”、“変手法は役にたたない”などの意見から知ることができる事実だ。

では千唐流各会派で何故に変手法が約束型の姿から発想の転換を経て脱皮し、新たな技レベルへ進化していくことができないのか? 率直に言って、私は今の千唐流が古流形への門を閉じてしまったことが大きく左右していると考える。
その理由は、私が古流形を稽古しながら基本技の再構築をしていく過程において、腰の操作(下丹田)や胸部の開閉と脇のしめ(上丹田)等の身体操作(The Body Connecting)が身に付くに従い、 逆突きと引き腰、双手技法と添え手の結びつきそして身体に乗せる打撃法など基礎的な技にこれまでとは90度~180度違う、ある意味真逆とも言える発想の転換あるいは技術の革新があったからだ。

その一例として、双手技法を教える基形ニーセイシの解説11構の①と②の技を取り上げてみる。
約束動作は、①が双手外受けから右・左の連突き、②は双手外受けから右猿臂打ちとなっている。
この動作は、1で双手受けをして2で攻撃をかける約束組手 の型だ。 一方古伝手では、その1・2を1にしろ!と教える。それは「受けと攻撃を同時に行なう」の意味で用語は「同時打ち」だ。

そこで私が先ず着目したのは 連突き・猿臂の前手である双手受けだ。私は、従来の双手を内から外に回しながらの受け手を、肘を脇に付け腕を真っ直ぐ前に送り、手首を内・外方向へ 回旋しながら伸ばす受け手に変え、そしてその双手の受け手を主と従の関係におき従の手を添え手とした。
すると受け手と連突きそして受け手と猿臂がほとんど重なった打撃すなわち「同時打ち」が可能になったのだ。可能にしたのは何のことはない、添え手あるいは手首の回旋は古流(古伝)で頻繁に 使われる動きであり技だからである。

古流の形とは
“型は不変であって変化しない。型を変化させないように守っていくのが伝統だ”。
これは伝統空手を謳う流派が良く使うフレーズだ。ご多分にもれず今の 千唐流も同様であろう。 だが私は、真逆な意見を持つ。“変化しない(させない)”ということは、とどのつまり水の流れを止めそして淀みを作ることになる。
淀んだ水、 流れを断たれた水はやがて腐り悪臭を放ちはじめる、それは自然の理だ。だからこそ私は、伝統を守るためには形が持つ本質を崩すことなく、 今の時代に生きる新しい息吹をそこへ吹き込み変化し続けなければならない、
という考えに立つ。この考えの背景にあるのが千歳翁によって継承された古流形だ。

古流の形は、現代の競技空手として定着した鋳物に流し込まれた体操的な動きになってしまった型とは違い、戦いと舞の表裏を持った世界を自分が持つ 感性を 基に動き、その動きはあたかも水の流れのように絶えず変化しながら演じ出されていく特徴を持つ。 とは言え、その表現の難しさは演じてみて 初めて分かるもので、自分の形にしていくにはそれ相当の稽古努力が必要となる。だがその難関を乗り越え形の練度が深くなるにつれ 「古流は有形にして無形」と言われる所以が理解でき、森羅万象の世界を自分なりに描き出していくことができるのである。





変手法に型は無い
「攻撃手は半月立ちから追い突き→受け手は八字立ちから反撃」。変手法はこの型化された攻防を基に相対練習によって技を習得する。 そしてそれは“こうして、こうやって、こうなる”と画一された攻防技の範囲内で完結する。
だがそれは技習得の初期段階で、実戦格闘の術としての 変手技を修得していくためには、前手突きあるいは逆突き等による角度を変えた攻撃を想定した次の段階が用意されなければならないのだ。
残念ながら今の千唐流系にはその段階が構築されていないがために約束組手(型)の域に止まり、結果的に“変手法は役にたたない……”のマイナス意見が 出てしまうのである。

「今日の技は前のと違いますが……、どちらが正しいのですか?」
「どちらも間違いではない。攻撃の種類や動きは常に変化する、それに備えるためにはこちらも常に変化する応じ技を持っていないと、 いざとなった時にそれ相応の対応ができず憂き目をみることになる…」

これは私が内弟子の頃そして今でも時々耳にする変手に関する質疑応答の一つで、そこから見えてくるのがさまざまに変化する技、用語を選ぶならば「千変万化の技」となる。
私は何年もの間試行錯誤しながらも千変万化する変手法とは何か?を考え、先ず、攻撃手が追い突き・逆突きでしかける攻撃を“剛法”、そして推手の容 を入れた相対練習を“柔法”として新たな稽古を始めた。
だがどうしても画一した動きから脱し切れず悶々としていた。

だがそんな中で大きな転機と なったのが、「基本技論26」の延長線上のリポート「打撃法」の中で導きだした“強い(剛)打撃が粘り手に変化する打法”、そして古流形の流れ動く技の 稽古と「有形にして無形」の思想から「変手法に型は無い常に変化する」という感覚を掴んだことだ。

稽古課程
そして現在。
私は、変手を剛法Ⅰ・剛法Ⅱ・柔法・異種格闘の四つの課程を組み、手を変え品を変えながら稽古に励んでいる。四段階の稽古課程を挙げたことで変手法が教える技の深みと幅が分かるようになったが、段階によってはまだまだ手探りや工夫を凝らさなければならない技法もある。
しかしながら、疑問を投げかけ変化を求めるからこそ、そこに新しい流れそして新鮮な息吹が注がれ変幻する新たな技の開花が成されるのである。 それこそが「行雲流水」、「変幻自在」の本質を持った変手法の伝統技と言えるのではないだろうか。(平成29年2月)
尚、令和になった今は異種格闘にある「ヌンチャク変手」の稽古の段階まで漕ぎつけている


★ 意識を現実化させ新しい技へと昇華させていく面白さや楽しさは、真実の空手を追う者にとってのご褒美であり一時の充足感だと思います。 私はこれからも、US. Chitoryu・Dometrich先生が遺してくれた「Live & Learn(生きて学ぶ)」、「Endless Quest(終わりなき探究)」の言葉を心に 響かせ、古伝変手の妙を得る旅を楽しんでいきたいと思っています。

   

古流唐手トップ・Top

古流唐手ホーム・Home

レポート・Report

上に戻る・back