基本・基本四形〜古流形の映像を収録しての感想です。 内容に入る前に収録に至った理由を述べます。それは@ナイハンチ効果の確認、A古流へ入る門の扉を開ける時期が来たとの判断です。 では本題に。…ほんの少しの香辛料を加えただけで味覚が違ってくるように、一寸した腰使いあるいは肘の位置を変えただけで、 以前とは違う身体の感覚が生まれます。私の場合は心地よさです。決して身体を意識的に打って入るわけではないのですが、 何故か自然に……柔らかい時は軟いなりに、そして激しい時は強いなりにパシッ…バシッと音がでるのです。それがなんとも言えない気持ちよさになって身体に入り込むのです。私は一人でこれを「バチバチ打撃論」と言っています、が、……ただくれぐれもマゾやサドではないので誤解のなきよう。 さて技に変化が起これば形全体の表現や様相も必然的に変わります。これは正比例の現象ですから当然のことです。 ですが世の中には、厳しい修練過程を踏まずに、机上論ともいえる型無修正主義とか源流型保存継承主義?を声高に妙な伝統主義を掲げる人(達)の存在が あり、私もその論について聞く耳を持っています。 しかし私は、そのような声がある中にあっても、形の変化を自らの身体で実際に体感できたことは大きなプラスとなりました。と同時に、 年齢や身体の状態に応じて自由な技法表現が可能な古伝・古流の存在意義を、それなりに理解できたことは、 自分で言うのは何ですが特筆に値すると考えています。 噛み砕いて言えば、 “現代空手の「型」は所詮型枠にはめられた「鋳物の型」でその枠内での変化にとどまる。 しかし、 古伝には形(形名)は存在するが自分の空手を独力で自由に表現できる次元にある。” ということなのです。 少し気取るならば、「空手には、有形の束縛から無形の解放への道が存在する」と言うことです。 よく引き合いに出される例をあげれば、 「書道」における楷書と草書の書体及び書き道の違いを知り、そして実践することが近道と言えそうです。 尚映像は、現在(2011年)の形表現との違いが比較できるように20数年前の形映像を組み入れています。 |
|
映像(.wmv)はバッサイ・ソーチン・テンシン・ローハイです |