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鮎がえしの滝の思い出


南阿蘇村長陽の鮎返りの滝を背景にした飛び足刀と南郷谷渓谷でのサイ対棍の写真は、私の修業時代(1980年前後)に、
稽古の疲れを癒すためこの地を度々訪れた際に撮ったもので、その頃のいろいろな思い出が凝縮され私にとっては空手の原点に戻れる貴重な写真です。

ところが4月14日と16日に熊本を襲った2回の巨大地震は、この鮎返りの滝と渓谷そして南郷谷を取り巻く 原生林を崩落させました。(下写真・左の美しい景観が→無残) 私は、自然が成す非情さに愕然としながらも、あらためて畏怖の念を持ちこのシグナルはいったい何なのかを考えているところです。 何れ答を出せると思いますが、その前に鮎返りの滝と当時の思い出を綴ってみます。


渓谷での写真を撮ってくれたのは義弟の箕輪英樹君そして演武協力者が釘宮誘男君(USA在住)で、私の修業時代(1980年前後)の 兄弟弟子です。 当時(昭和50年代)は滝の下や渓谷へ下りていくことができました。滝つぼの前は綺麗な砂地が広がり、その周囲を垂直に切り立った岩壁と鬱蒼とした 原生林が包み込む渓谷へと続くのです。その秘境とも言える渓谷沿いにはさびれた温泉郷があり、そのたたずまいは美しい自然の中に溶け込み、 溜息がでるくらい素晴らしい景観でした。
私は稽古の疲れを温泉で癒すためこの地を度々訪れいつしか〝心の故郷“になっていったのです。


その温泉宿に泊まった時の思い出話を一つ。“真夜中にな…、観音湯に入ると観音様に会えるそうだよ…”。
私はこの話を聞き興味津々…、実行に移しました。 上に下に右に左に迷路のような廊下をわたり観音湯へ……。
天井から小さな裸電球一つ垂れ下がり、五、六人はゆったり入れる岩風呂を薄暗く照らす。 恐る恐る静寂に包まれた湯船に身を沈め、薄ぼんやりと見える観音湯と書かれた石板をボーッと眺めながらその時を待った。
聞こえてくるのは秋の夜長の虫の声、 湯はとても気持ち良くリラックス……、ウトウト…ウトウト…、「ポチャン…」と湯を軽く叩く音に「ハッ」として目を開けた。 なんと、目の前に白いモヤが立っているではないか!私は“ワッ”と一瞬言葉を失い、湯を両手でバシャーンと押し上げ「な・何だ…」と 思いながら身体を起こした。
私は信じられない気持を押えながら“何か?”と向かい合った。その時の時間感覚が長かったのか短かったのかはよく覚えていない。 ただしばらくの間は放心状態だったのは確か。 白いもやの何かは、観音湯に言い伝えられてきた観音様だったのかも知れません?
後年この出来事を母に話したところ、母は“あなたの守り神は千寿観音なのよ…”と話してくれました。

 私はこの不思議体験の2年後、空手の跡目争いに当事者として巻き込まれ熊本を追われました。
そしてその後すぐに南阿蘇の秘境は立野ダムの計画によって渓谷への立ち入りができなくなり周囲の景観は大きく変貌したことを知りました。それから32年後、阿蘇火の神の御怒りによって南阿蘇の豊かな自然の多くが失われてしまったのです。


観音様の話が、震災後の写真で何かしら悲しい思い出のようになりましたが、 千寿観音の御力で一日も早く南阿蘇そして南郷谷に豊かな自然が戻り、又鮎返りの滝の前で飛び足刀をできる日を夢見ながら稽古を続けていきたいと思います。
(平成28年6月3日 「祖母 坂本なを」 の命日に)



   

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