琉球のサムライ
天眞正自源流最 上野景範
天眞正自源流兵法における古の兵法家の伝記を記述しながら人生と歴史の不思議に驚嘆せざるを得ない。
1984年、流儀の相伝書に記載される 誓詞文中に、ある人物の名前を発見したのが事の発端であった。
あれから、24年の月日が経過し、今日、其の継承者との偶然の出会いが忘れていた 記憶を呼び筧ました。
自源流の相伝書に氏名が記述されるものは極めて稀であり、幕末の志士はほとんど記載されていない。
即ち、師範家に於いて修行した者の中から、 技術と人格が認められたものだけが厳選して姓名を連ねることが出来るものである。
記述がいつ頃から始まったものかは定かではないが、 最期の氏名欄を16人遡るところ文政12年(1829)の欄に其の氏名がある。 其の名を『松村筑登之親雲上宗棍(マツムラチクドペーチンソウコン) 』と云う。
● 南海の王国
● 佐久川寛賀翁と松村宗棍
● 薩摩の侵攻
● 巻藁と立木打ち
● 八卦掌
● 開国
● 晩年
〈結び〉 ご厚誼を頂戴している『龍精空手道/唐手継承室』の坂本 健先生との会話の中で、 自源流刀法と唐手に多くの共通点を見出しました。
本当の武道の姿には古の精神が込められており、 全ての人に共通の感動を与えることが出来るものと確信して止まない今日であります。
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