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唐手第二代継承者
天眞正自源流津之兵法
松村宗棍


天眞正自源流総帥上野景範先生より、唐手継承の事実を解き明かす貴重なレポートが、「松村筑登親雲上宗棍を語る琉球のサムライ」です。

私はその事実を知るまで、千歳先生が継承した唐手の歴代者と年代の記述ついて不明な点がありました。
それは、『佐久川寛賀 −松村宗棍(写真)−新垣世璋-千歳強直の継承線』の確証を掴むことが出来なかったことです。
ところが、自源流師範家の文献に「松村宗棍」の名の記載があるという上野先生の手記「琉球のサムライ」で事態が一変したのです。 私は「これは何とかしなければいけない!」と、何かにとりつかれそして追われるようにDVDの編集作業に着手し、その過程の中で以下の事実を理解することができたのです。

● 「なぜ佐久川翁だけに唐手の異名が付けられたのか?」。
● 「佐久川翁と松村宗棍翁との師弟関係」。
● 「松村宗棍翁の妻は与那嶺つる(女流唐手家)」。

そしてそれらから、千歳先生から聞いた;「おじいさん(松村宗棍翁)の肩に乗せられて首里の城(写真)に度々連れて行かれ、ある時は 王(尚)謁見の間でお漏らしをしておじいさんを困らせたこと」、「おじいさんの遺言で、3歳の時から新垣世璋翁に預けられたこと」等などの話を なつかしく思い出したのです。

「琉球のサムライ」は、私にとって、唐手継承をしていく上で大変貴重な史実となり、 且つ又「なぜ私が千歳翁の空手を追究しなければならないのか?」を運命として受け入れることができたのです。

そして上野先生が述べた“人生と歴史の中で起こる巡り合わせの不思議に驚嘆している!”の言葉を噛みしめているのです。

下は「琉球のサムライ」の序文、各内容の項目と結びです。




琉球のサムライ

天眞正自源流最 上野景範

天眞正自源流兵法における古の兵法家の伝記を記述しながら人生と歴史の不思議に驚嘆せざるを得ない。
1984年、流儀の相伝書に記載される 誓詞文中に、ある人物の名前を発見したのが事の発端であった。
あれから、24年の月日が経過し、今日、其の継承者との偶然の出会いが忘れていた 記憶を呼び筧ました。

自源流の相伝書に氏名が記述されるものは極めて稀であり、幕末の志士はほとんど記載されていない。
即ち、師範家に於いて修行した者の中から、 技術と人格が認められたものだけが厳選して姓名を連ねることが出来るものである。

記述がいつ頃から始まったものかは定かではないが、 最期の氏名欄を16人遡るところ文政12年(1829)の欄に其の氏名がある。 其の名を
松村筑登之親雲上宗棍マツムラチクドペーチンソウコン 』と云う。

● 南海の王国

● 佐久川寛賀翁と松村宗棍

● 薩摩の侵攻

● 巻藁と立木打ち

● 八卦掌

● 開国

● 晩年

〈結び〉 ご厚誼を頂戴している『龍精空手道/唐手継承室』の坂本 健先生との会話の中で、 自源流刀法と唐手に多くの共通点を見出しました。

本当の武道の姿には古の精神が込められており、 全ての人に共通の感動を与えることが出来るものと確信して止まない今日であります。

   


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